第2回:ジェイ・グレイドンとの出会い(でも、まだまだ序章です....)
2007/06/18 09:50 POSTED
(前回からの続き)で、ジェイ・グレイドンさんとの出会い、本編に入りましょう。とは言え、まだ今回は序章。ジェイさんに辿り着くまでのドラマティックなストーリーをまずはお話しさせて下さい。
ジェイさんと初めて会えたのは1990年の3月初頭、彼の家&スタジオに於いて。そこに訪問するキッカケ、目的はと言うと、それは一種のアクシデントでした、偶然が偶然を呼んだと言うか。まあ、それから長い年月が経過した今だからこそ、「偶然ではなく必然だったのかな...」なんてクールを気取ることもできますが、日本を発つ時は、まさかジェイさんに会えるなんて、これっぽっちも考えていませんでした、本当に。早速、その経緯を振り返ってみましょう。
1990年2月の末から4泊6日で初めての単独L.A.訪問を行いました。大学の卒業旅行で過去に1回訪れてはいますが、その時は高校の同級生3人と一緒でしたし、L.A.と言えばディズニーランドとリトル・トーキョー、食事は毎日YOSHINOYAのBeefBowl! そんな旅でしたから、ほとんどレコード屋は覗けず、話題沸騰のThe Baked Potatoもそっちのけ、でした。典型的なO型なので、団体行動をとる時は決して輪を乱さない、そして、他の面々が飽きないようなスケジューリングをする、これが基本ですから、まあしょうがないかな、と。
独りでL.A.を訪れた当時、僕はラジオ番組の制作会社に属していて、主にJ-WAVEの番組のディレクターをしていました。音楽の中で仕事が出来る喜びを体感しつつも、やっぱりあのウエスト・コーストの風、L.A.のスタジオ・シーン、この2つに対する憧れは日に日に増し、東京に籠っている生活に一種のジレンマさえ感じていました。28歳とかそんな時期ですから、やはり、何か自分で行動を起こしたくなるんですよね。で、意を決して、休暇を取り、格安ツアーを予約。すると、人生って面白いですね、ここからが偶然であり必然だったと思わざるを得ないのですが、その頃、創美企画というレコード会社がCreatchyの音源を日本で紹介していました。Creatchyはキーボード奏者デヴィッド・ガーフィールドさんの愛称でもあり(命名はジェフ・ポーカロさんの模様)、デヴィッドがプロデュースを手掛けるL.A.フュージョンのスペシャリスト的なレーベルの名前でもあります。そこからはすでにデヴィッドのグループ、Karizma、そして、彼がTOTOのスティーヴ・ルカサー&ジェフ・ポーカロ他と演っていたLos Lobotomys、この2つが発売されていて、その美味しい面子に中田も大いなる興味を持ち出した次第です、このレーベル要チェック!と。で、驚くなかれ、そのレーベルの日本における仕掛人がかつての兄貴分的存在の人だったのです。確か、音楽誌AD LiBの編集部の人がそれを教えてくれたのだと記憶していますが、向こうは向こうで「中田利樹」の名前を活字でポツリポツリ目にするようになったらしく久しぶりにコンタクトを取りたがっている、とのこと。これは、サンプル盤も頂戴したいし(笑)、一度会いに行くしかない、と。そしてその方に「今度、L.A.に行こうと思ってるんですよ、プライヴェートで」と話すと「オイ、中田、(マイケル・)ランドウとかデヴィッド(・ガーフィールド)に会って来てくれないか? で、インタヴュー録って、どっかで紹介してくれよ! 大丈夫、大丈夫、向こうに日本人のコーディネイターが居るから、そいつに全部仕切らせるよ。アポから何から」と言ってくれるではないですか〜! いきなり夢のようなお話しです。マイケル・ランドウに会える〜?! デヴィッド・ガーフィールドにインタヴュー〜!?なんと運の良いこと。ツアーの予約こそしたものの、具体的に何処に行って何をする、を計画していなかった自分にとってこれはまさに天からの恵み、そのものでした。
と、ここで、若干話しが逸れるのですが、実は全く時を同じくして中田の単独L.A.訪問の話しがJVCビクターのプロデューサーさんにも伝わりました。阿川泰子さんを長年にわたって手掛け、また、あの玄人筋を唸らせた『Guitar Workshop』シリーズの発案者でもある、業界でもかなり知れ渡った方。その方も私にこう言ってくれるではないですか。
「今、アレックス・アクーニャのアルバム作ってるんですよ、Unknownsっていう彼のバンドと一緒に。好かったらレコーディング覗きに来ませんか?」
こちらの部隊とも現地で合流し、この1年後にはあのニック・デカロさんへのインタヴューもL.A.のスタジオで行うことが出来ました、あと、レジェンダリーなエンジニア:アル・シュミットさんにも。まあ、ですから、現在の中田があるのはCreatchyレーベルの日本側の仕掛人:Hさんと、そしてJVCに居たHさん、この2人のおかげでしょうね。今なお、心から感謝しています。
で、長くなっていますが、話しを戻しましょう。L.A.を訪れた私は、着いた翌日から早速、インタヴュー三昧の日々がスタートします。朝早く、コーディネイターのYさん(生まれは東京。お父様もお母様も有名な俳優さんでした!)がホテルに迎えに来てくれて、いきなりランドウさんの家に訪問というスケジュール。家に、ですよ、いきなり。後々になって初めてそれが当たり前だと解ったのですが、向こうのミュージシャンは平気で人を呼んでしまいます、自宅に。日本だとなかなかあり得ないことですが、まあ、国民性の違いでしょうか。で、文字通り、右も左も解らないL.A.。Yさんの運転する車でランドウさんの家に行くも、それがどの辺りだったのか、今なお全く覚えていません(現在は全く違う所に越しています)。ただ逆に、今でもしっかりと脳裏に焼き付いているのは、ほとんど空っぽだった家の中の光景。奥さんだか彼女だかが出て行った直後だったので家具の類いが異常なほど少なく、壁に貼ってあったジェフ・ベックのポスターと寝室に置いてあったマーシャルのギター・アンプ、この2つがやけに目立っていたのを今でも記憶しています。ランドウさんの話しもいろいろとあるので、これはまた別の機会にご紹介したいのですが、インタヴューはなんとか終えられ、そして翌日だったかにデヴィッド・ガーフィールド&アラン・ハーシュバーグ(Creatchyレーベルのコ・プロデューサー&エンジニア)のコンビにもデヴィッドさんの家で話しを聞くことが出来ました。彼との話しもいろいろとあるので、また別の機会に、という感じですが、コーディネイターを務めてくれたYさん、本当に親切な方で「誰か会いたいミュージシャンは居ないですか?誰でも当ってみますよ」って、本当に優しく接してくれるんです。で、雲の上の人だと思いつつも「僕は、ジェイ・グレイドンが神様みたいな存在なんです!」と伝えるや、それをしっかりと覚えていてくれて、ミュージシャン・ユニオンだかなにかでジェイさんの電話番号を調べ、何回もコンタクトをとってくれたのでした。いつも留守電だったりでなかなか繋がない、メッセージを残しても流石にコール・バックは来ない、そんな日が過ぎ、L.A.滞在も残すところあとひと晩、そんな時を迎えてしまいましたが、今回がダメでも次回はひょっとすると会えるかもしれない、この様子だったら。そんな将来への希望を胸に抱き始めたその時、遂にジェイさんとコンタクトが取れました! ナント、インタヴューに応じる、と言っているではないですか!しかも、これまたジェイさんの家に来い、とのこと。遂に憧れの”神殿”に足を踏み入れるその時が訪れたのでした! もう、心臓バクバクです!
というわけで、今回はここまで(笑)。次回こそ、ジェイさんとの出会い、その本章をお届けしますので、お楽しみに〜!
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第1回:ジェイ・グレイドンとの出会い.....
2007/06/04 14:37 POSTED

これを読めば貴方もAORの事情通、間違い無し!
で、早速、その第1回、ジェイ・グレイドンさんとの出会いに関して書いてみたいのですが....その前に、改めて触れておきましょう、AORとは何か、そもそもの基本をご存じない方もたくさんいらっしゃるでしょうから。
AOR=Adult Oriented Rock、すなわち、大人向けのロック、の総称です。そもそも、アメリカのラジオ・ステーション・フォーマットのひとつとして1970年代中盤からポピュラーな存在になっているのですが、アメリカではもうひとつ、シングル曲に拘らずアルバムの中からその局、その局のカラーに合うナンバーをプレイするAlbumOriented Rock、あるいは、Album Oriented Radio、というフォーマットもあり、そちらも略せばAORになってしまう。そんなこんなでごっちゃになってしまうので、大人向けの音楽の方はAdultContemporary(通称AC)というフォーマットで統一。
しかし、日本では1980年にAORの呼び名で大ブレイクし独自の世界を形成してしまったので、以後、今日までーー多少、盛り下がっている時期もありましたがーーAdult Oriented Rockの略というよりも、ひとつのAORというテイストとして、根強い支持を集めて来た、という次第です。
その、日本ならではの独自の世界、なのですが、日本で言うAORとは、アダルト・オリエンテッドな”ロック!”である必要は全くなくて、ジャジーなもの(マイケル・フランクス、ド
ナルド・フェイゲン他)、ソウルフルなもの(ボビー・コールドウェル、ボズ・スキャッグス他)、王道のポップスもの(エア・サプライ、クリストファー・クロス他)、なんでも構わな
いんです。それどころか、人によって「これはAOR!!」と断言すれば、それは多分AORで好いんじゃないでしょうか(笑)。
実際、今、アメリカで「AOR!」と言っても恐らく通じませんが、北欧で「AOR!」と言うと、ジャーニー、フォリナー、サヴァイヴァー辺りの路線を指すことが多いですからね。
で、話し戻って、日本で言うAOR、いや、私、中田にとってのAORは何かと言いますと、スタジオ・ミュージシャン、アレンジャー、プロデューサー、そして時にはエンジニアが、極上の仕事をし、一歩間違うと主役(ヴォーカル)が食われがちなサウンド、の総称なんです。言い換えれば、構築美の極め的な音楽。とにかく計算し尽くした緻密なレコーディングーー一流のプロデューサーが一流のアレンジャー&プレイヤーを集めて、実に音楽的なオケ(バック・トラック)を作るーーによって初めてAORがAORとなり得るわけで、味わいだけのチープな歌や演奏は中田的なAORからは外れてしまいます。
逆にど真ん中になるのは、エアプレイ(ジェイ・グレイドン&デヴィッド・フォスター)、TOTO、スティーリー・ダン(ドナルド・フェイゲン)、ジノ・ヴァネリ、さらに、マクサス、ペイジズ辺り。ギター1本で歌えてしまうのではなく、あくまでもバンドのアンサンブルで音楽性を数段高める、そしてその音の連なりから発せられるどうしようもない格好良さ!
それこそがAORのAORたる醍醐味だったりします。
ちなみに、 ReMuTVでお馴染みの”スター・カズタカ”こと、石井一孝さんもそこにAOR最大の魅力を感じる1人です。ですので、自分のお気に入りのプロデューサー、ミュージシャンが参加しているレコードを集めてはその個々のプレイを掘り下げては悦に入り、そのコレクションの為に毎月毎月多大なるお金を費やしてしまう、という人たちが物凄く多かった、というわけです(最近もまたネット上でレア盤系の取り引きがさかんに行われているようですが...)。
で、いよいよ、今回の本題です、ジェイ・グレイドンさんとの出会い!これについて書いて....あ、残念、もう、結構な文字量、書いてしまいましたね、なので、今回はここまで。続きは次回のコラムで!
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