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第6回:ジェイさん来日!
スペース
2007/08/22 11:06 POSTED

Blue Desert

 (またまた、前回からの続き)今回は1991年に東芝EMIさんからリリースされた、プラネット3のプロモーション来日を含めた、ジェイさん日本に来る!の話しを書いてみましょう。ジェイさんはこれまで何回ぐらい日本に来ているかと言いますと、実はそんなに多くないです。ジェイ・グレイドン・バンドでの来日公演が2回
(1994年、96年)、デヴィッド・フォスターの「JT Super Producers」コンサートへの出演、そしてそれに加えることあと2〜3回、といった感じではないでしょうか? 実はジェイさん、大の飛行機嫌いなんです! なので、プライヴェートで遠くの街やリゾート地へヴァケーション、といったことはまずないと思って下さい。で、ジェイさんの飛行機嫌いは単純に落ちたら嫌だから、という最もポピュラーな理由。あの、鉄の塊が大勢の人を乗せて空を飛ぶなど信じられない!そんな人なのです。

 ではそのジェイさんを飛行機に乗らせるにはどうしたら好いかーーと言うか、ジェイさんはこの2つによって飛行機嫌いを克服(?)したのです。まず、一番落ちる可能性の低い航空会社をリサーチすることから始めました。世の中、ちょこっと調べればデータなど用意に入手出来ますからね。その結果、ジェイさんはあるひとつの事実を入手したのでした。
『オレはS社にしか乗らない。何故かと言うと、S社の機体が一番新しいからなんだ。故障も少ない。航空会社の中には他の会社が古くなって使わなくなった機体を下取りしてそれを平気で使っているんだ。そんなの危なっかしくてしょうがないだろ。その点、S社は機体が一番フレッシュだから一番安心出来るんだ』
 なるほど、そうだったんですか。私も以前は結構S社を使っていました、L.A.との単純往復では。値段が安い、というのが最大の利点で、特に、あのキャビン・アテンダントさんの衣装が好き、とかは全然無かったのですが....(笑)。

 ジェイさんの話しを続けましょう。航空会社はS社限定。それは解ったとして、それだけではあの片道9〜11時間という太平洋横断を乗り切るのはあまりに大変ですよね。では、どうしたか? 睡眠薬系で乗り切ったか? 違います。ひたすらCDを聴きまくったか? それも違います。読書? いいえ。映画? あ、それは多少あったかもしれません、とにかく、当時、物凄い本数のVHSを所有していましたから、映画かTVかを観るのはかなりお好きな模様です。でも、それが正解、ではありません。では何? ヒントは、このコラムのバックナンバーを読めばお解り戴けます。当時(1990年代初頭)、彼が一番凝っていたこと、ハマっていたこと、で、時間を費やしたのです。そう、カード・マジック! ジェイさんがビジネス・クラスだったかファースト・クラスだったか、よく覚えていませんが、人なつこいアメリカ人のキャラクターを前面に出し、周りのお客さんに得意のマジックを次から次に披露し、拍手喝采を浴び、空を飛んでいることを忘れさせた、というのが正解なんです。ジェイさんのマジック、本当に上手なので確かに盛り上がったと思いますが、しかし、中には休みたかった人もいるでしょうが、そんなことは顧みず(笑)、半ば強引に付き合わせた、そんな絵が想像されます。そして、そんなこんなで往復しているうちに結構、慣れてしまったとか。もう随分と来日していないですが、さて、次回はいつになるのでしょうか?

 そんなジェイさんが初めて日本に来たのはーーごく一部の人にしか知られていないと思うのですが、1990年だったでしょうか、関西地区にCLUB DICKという店がオープンし、そこのオープニング・イヴェントだかにジェイさんが出演したということです。東京人の私は流石にそれは観れていないのですが、私の記憶では、ジェイさんと親しいケンジ・サノさん(カラパナ)の誘いで決断した、とか。でも、話しによると細部に拘りまくったジェイ・グレイドン・バンドとは一転、ほとんどセッション風の曲目で、EW&Fの<September>とかお馴染みの曲を多数やって盛り上がったとか....。しかも、ジェイさん、ギターも持って来なかったようで、日本のディストリビューターさんにValley Artsのギターを調達してもらい、アンプも他の日本人のギタリストからローランドのものを使わせてもらったという、本当に気ままなセッションだったそうです。こういった手ぶらで気軽に、といったパフォーマンスは完璧主義者のジェイさんには極めて稀なケースなのですが、そのギター&アンプのセットアップが非常に好い状態だったので、ジェイさん自身、非常に満足の行くパフォーマンスだった、と振り返っています。ちなみに、今でもこのクラブがあるという話しは聞いたことがありませんが、何方かご存じでしたら教えて下さい。ジェイさんの記憶によりますと、CLUBDICKはその名の通り、Dickさんという方のお店で、彼は人気の高いシンガー? サックス奏者? だったとのことですが....

 そして、もう一発、ジェイさん in Japanのお話しです。例のプラネット3でアルバムを出した時、東京にもやって来ました、プロモーションで。そして、渋谷のタワー・レコード、六本木のWAVE(=現在閉店)でインストア・イヴェントを行っています。実はそれを仕込んだ人が知り合いだったこともあり、WAVEではジェイさ
んの隣りに座り、いわゆるゲスト出演させていただいたのでした、ジェイさんの魅力を知り尽くした男(?)、みたいに。そして、後半ではジェイさんがギターを弾いてくれて、お客さんから「マーク・ジョーダンの<I’m A Camera>のソロを演って下さい!」とリクエストされると、「ああ、あれはオーヴァーダブで繋げてる箇所があるから、レコードどおりには出来ないんだよ」と簡単に種明かしをし、「ほら、ここ。ここは、1本じゃあ、ああはならないんだよ」と説明。その辺りの屈託の無いキャラクターも、庶民的なスーパー・ギタリストとして、非常に好感が持てた次第ですが、好感が持てた、と言えば、最後に、好例のサイン会になり、多くのファンが長蛇の列をなした時のこと。当時のガール・フレンドも同行していたのですが、ジェイさんの横でこんなことをやっていました。そこそこ大きな紙にジェイさんのアドレスを書いて「ファン・ラターを送ってね!」とさんざんアピールしていたんです。アドレス、と言っても、P.O.Box(私書箱)だけなので、ジェイさんの家そのものを探し出される心配は無いのですが、E-mailが発達していない時代ですから手紙しかなかったわけですが、それにしても、果たして何人がファンレターを書いたのか、ちょっと微妙な感じでした。

 それからもうひとつ、そのプロモーション来日の時、貴重なイヴェントが行われました。場所は六本木の某所なのですが、ジェイさんのプレイを存分に楽しんでもらおうと、マスコミ、ディーラーさんを対象にしたシークレット・ライヴが行われたのです。バンドは日本人で、もう1人、鳥山雄司さんがギターで参加し、ジェイさんとの熱いバトルを繰り広げたのでしたが、しかし、エフェクター関係までバッチリとセット・アップした鳥山さんはとにかく弾きまくりで、バトルというよりは完全にジェイさんを食っている状態。ジェイさんはそれこそ、エフェクターは1個か2個、いや、ひょっとしたらアンプに直?くらいのシンプルなセットで、ギターの音が全然違うんです。なんか、あれじゃあ、ジェイさん大したこと無いな、鳥山さんのほうがスゴイじゃない? という感想をもたらしたのでは、と不安になった私ですが、ジェイさんは全く持ってマイ・ペース。最前列で食い入るように観ていた私に笑顔を振りまいてくれては、途中「ここに座っているトシ・ナカダは僕の最高の理解者だ....」を語ってくれて、恐縮しまくり状態でした。



第5回:プラネット3のレコーディング秘話
スペース
2007/08/06 10:32 POSTED

ソロ

 (またまた、前回からの続き)1991年に東芝EMIさんからアルバムが発売されたジェイさんのグループ、プラネット3。考えてみたらジェイさんの後にグレン・バラードさんにも彼の家でインタヴューしていました、私。これも、私をジェイさんに会わせてくれたL.A.のコーディネイターさんのお陰だったりしますが、やはりアーティストそのものよりも裏方好きなんですよね、私。と言うか、リアルタイムでAORを愛聴なさっていた方は絶対に、誰がプロデューサー、誰がバックに参加、誰が曲を書いて...を凝視してたはずなんです、LPの裏面辺りに載っているクレジット関連を。なわけで、ジェイさんとグループを演っているのだったら特にグレン・バラードさん、クリフ・マグネスさんにも会ってみたい、そう思うのはあまりに自然な流れで、それをコーディネイターのYさんに告げたというわけです。初のL.A.探索(訪問自体は2回目ですが、音楽人として探索したのは1990年2〜3月が初めて)を満喫した中田は同じ90年の秋に再びL.A.に行き、またまたYさんにお世話になるのですが、彼の住んでいる家はスタジオ・シティの、それこそ、ジェイさんの家から車で5分くらいという距離にあるアパートの1室で、さすがアメリカ仕様、十分に広いスペースで客人が来ても全然平気。その後の2回はそこに泊めて頂いちゃいました。以後はまた別の人の部屋に居候したり、安いホテルを取ったり、あ、あと91年からレコード会社さんによる海外取材依頼も結構頂戴するようになり、ボビー・コールドウェルだ誰だ、を取材しに訪れては自費で延泊。そういった時は好いホテルで、運転手さん付きで、夜の食事会もレコード会社さん持ちで、という、今となってはあり得ない(或いは、超極端に減った)バブリーな時を過ごすことが出来ました。往復の飛行機が国内航空会社のビジネス・クラス、なんてことも1回2回ではなかったですしね....

 あ、スミマセン、全然違う話しで....。で、グレン・バラードさんは、ジェイさんとは全く逆の、落ち着いたジェントルマンで、非常に好感が持てました。90年の9月、でしたから、彼がプロデュースしたウィルソン・フィリップスが大成功した数ヶ月後なのですが、それでも「(インタヴューの相手が)本当に僕なんかで好いのかい?」という腰の低さが今でも忘れられません。もちろん、そのインタヴューもYさんの運転、通訳だったので、グレンさんの家の細かな場所は覚えていませんが、Sherman Oaksという、StudioCityの隣り辺りのエリアで、これまたプールが在ったり、豪華な家だったことを記憶しています。それから奥様が美人だったこと。加えて、バーブラ・ストライサンド&クリフ・マグネスと一緒に撮影した写真(=バーブラさんの1988年のアルバム『Till I LovedYou』レコーディング時)が小さな(?)額に入れて飾ってあったのもしっかり覚えています。何故ならば、あれ、これ、グレンさん??? 顔違うじゃない......と、鮮明に焼き付いたからです(プライヴェートなことなので詳細は差し控えます、各人、ご想像下さい)。

 改めてグレンさんに話しを聞いてみました、プラネット3に関する。すると、そこで新たなる事実が発覚しました、レコーディングの方法に関して。この3人が集う経緯は、すでに80年代中盤から3人で曲を書いて、というコラボレーションをしていたことからある意味自然な流れ、それも、クリフ・マグネスという、本格的に歌えるシンガーが居るわけですから、これは完全に3人だけで機能する、と容易に理解出来るのですが、新たなる事実、というのはーーすでに、ライナーノーツ他で触れていることなので、ご存じの方も少なくないでしょうがーー3人の曲の書き方、レコーディングの進め方、です。既にこのコラムで触れていますが、ジェイさんは夕方起きて来て朝寝るという、典型的なドラキュラ・タイプ。いつからこうなったのか解りませんが、昔のいわゆるセッション・ミュージシャンだけだった70年代中盤まではいくらなんでもそうではなかったと思います。おそらく、自分でプロデュースをするようになって、自分のスタジオで好きなだけ音を煮詰めるようになってからではないでしょうかね。エンジニアも誰も要らない、全ては自分1人で集中出来るように....。これがジェイさんを”夜の男”に変えたのではないでしょうかね....。 でも、これって、ガールフレンドにしたら迷惑な話しで(笑)、その女性もジェイさんに合わせないといけないんですから大変ですよね....。なんて話しは、こっちに置いておきまして〜、生活サイクルの全く違うジェイさんとグレン&クリフのコンビ。格、キャリアの上ではやはりジェイさんに軍配が上がるので、クリフ&グレンが夜中型に合わせたか、というとそうでもなくて、もちろん、ジェイさんが若手2人に合わせるわけも在りません。ではどうなったか
と言うと、もう別々に作業するんです、簡単に言ってしまうと。スタジオはジェイさんの家に在るGarden Rakeを使い、朝の10時くらいにグレン&クリフが登場。そして夕方までトラック作りを煮詰めて、そして、歌も入れたりして....。ある時はジェイさんが起きて来て、それを一緒に聴いて、「OK、あとはオレがやっておく」 となったでしょうし、ある時はメッセージを入れる専用のテープレコーダーがあり、そこにお互いのメッセージ、アイデアを入れて、それを双方のコミュニケーション・ツールにする、そんな感じだったわけです。ちなみに、作品は3人の共作、になっていますが、作詞はほぼ全部グレンさんが手掛けた旨、本人が言っていました。

 レコーディングの方法でもうひとつ。ここ数10年はマルチ・テープ〜マルチ・トラックを使って、失敗した部分は差し替える、という作業があまりに当然になっていますよね。そして、差し替える部分になったらエンジニアさんがRECのボタンを押し、その部分が終了したらRECモードを解除するーーいわゆる、業界用語的に言う、パンチ・イン、パンチ・アウト、なのですが、ジェイさんの場合はギター・ソロを何度も何度も、それこそ、完璧に到達するまで延々繰り返していきます。しかも、ギター・ソロを録音する時は、絶対に人を入れません、エンジニアも誰も。では、パンチ・イン、パンチ・アウトをしてくれるのは誰だ? というと、これも自分で演ってしまうんですね。でも、コンマ何秒を競うRECボタン押し〜解除の世界。ギター・ソロを弾きながらテープ・レコーダーを操作出来るわけないですよね。でも、ジェイさんは自分で演る....。どうやって? 足でやるんです。テープ・レコーダーのRECボタンを足で押す? 違います。独自のフット・ペダルを作って、足でOnーOffを操作出来るようにしたんです。まあ、エフェクターを踏む、外す、と考えたら別に凄いことでもなんでもないのですが、でも、それを実現させてしまうのは流石、です。

 実は、ジェイさん、とにかく恐ろしいまでのオタクなんです、機械系に関して。ケーブルやコード、ジャックを純金製?に変えて、少しでも音を好くして楽しみたい、その為だったらケーブルに10万円以上費やすのは何とも思わない、そんなオーディオ・マニアが日本にもかなりいらっしゃると思いますが、ジェイさんも結構その口で、ケーブル関係で有名なMonster Cable社の人たちともいろいろとああでもない、こうでもない、と意見を交換し、いろいろなシステムを開発してい
ますし、ディジタル・レコーダーで有名なAlesis社の製品も何台も何台も重ねて無限代的なマルチ・トラック・レコーディングを可能にしたり、とにかく、オタクです(笑)。私はそこまで行くと付いていけないので、”Wow,Really !?”を連発して笑顔を振りまいてます(こういう時、自分は日本人だな、と思います<笑>)。

 とまあ、そんなこんなで3人一緒に居なくても十分なコラボレーションを見せたプラネット3。次回は、ジェイさん初来日! を中心に、ジェイさんは実はこれが大の苦手! そして、それを克服するため、気を紛らすために何をしたか、その辺りをお伝えします。




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プロフィール
中田利樹
AORに人生を捧げ、音楽ライター、FM-DJ、そしてAOR専門レーベル“COOL SOUND”オーナーとして名盤及び貴重盤のCD化で活躍中。

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